火曜日, 9月 28, 2004
東雲キャナルコートcodanに住むまでの道を復習してみる。
いやいや。最後の6次募集が迫る東雲キャナルコートcodanでございます。
最近、ちょっとだけ6次に応募しようとしている方から
問い合わせをいただくことが増えたので。
ここいらでちょっと
「東雲キャナルコートcodanに当選して住むまでの途」
について復習してみたいと思います。
(いつも読んで頂いている方、復習コンテンツで申し訳ありません)。
まずまず。
「税金払っている以上、礼金のない都市公団の物件に住んでやる!」
と思った私は、いろいろな物件を物色した結果。
デザイナーズ公団こと東雲キャナルコートcodanにたどり着きます。
このentryが東雲キャナルコートに住んでやる!の最初でした。
しかし、この当時、私は「安くても12万円」にびびりまくって
まさか半年後に実際に住むことになろうとはまったくもって思ってなかったのです。
「東雲キャナルコートに住みたい」シリーズの最初のこの辺ではまだ他人事です。
さらになんとなく東雲のジャスコを見学に行ったりして、
うらやましいーと思ったりとか、本当に非現実的に東雲キャナルコートcodanを捕らえています。
このジャスコ東雲店、住む前は便利だと思ったのですが、
実際は一人暮らしには広すぎて買い物が大変だったりと後々分かるのですが
まあでもトータル的に考えてやっぱり便利です。
そして、深夜の東雲キャナルコートの光景に私は心を奪われます。
2003年12月。東雲キャナルコートcodanの4次募集がスタートします。
モデルルームを見に行った私はその場で申し込んでしまうのです。
やっぱり、「家賃比内装と広さ」に負けたのが最大のポイントでした。
今も住んでいて思うのですが、キッチンとかお風呂とか贅沢な作りです。
今でも料理する時とか、本当に楽でちょっと料理する気になります。
運命の抽選日がやってきます。結果はこの通り。
「補欠当選」でした。
ちなみに抽選日の前日に弱気になった私は公団の窓口に行き
事故物件という恐ろしい存在を知って、驚愕したりしていました。
そして、一応補欠も含めて当選者が課される「書類確認」にいきます。
これがそのときのお話です。
いやーこのとき私はすでに東雲キャナルコートcodanに住む気満々になっています。
なんつーか、今振り返ると負けず嫌いな性格なので
えー、ぶっちゃけ「補欠」という中途半端な状態でリベンジしてやる!という意地が…。
そして2004年2月。私がのんきに名古屋に出張に行っている間に
事態は動いたのです。それは「繰上げ当選」…。
しかし、当選の現実を突きつけられ、私はこんな風に悩みます。
悩みまくった私は、ちょうど5次募集をしていた東雲キャナルコートcodanへまた行きます。
そうモデルルームを見に行ったのです。
そのときがこのentryです。
そして5次募集まで申し込んでしまう私…。
だが人生、思うようには行かずこうなりました。
しかーしさらに大逆転がありました。
それがこれに書いてある、「補欠でもないのに繰り上げ」当選という話だったのです。
というわけで、私は紆余曲折を経て東雲キャナルコートcodanに住み始めました。
住んでみると、思ったより快適なこと。思ったよりダメなこと。いろいろあります。
でも、成長途中の街というのは楽しいものです。
東雲キャナルコートの中央の道「S字アベニュー」には、ドラッグストアができました。
ちょっと便利です。(あとはampmが24時間になってくれれば…)。
10月になーんにもなかった豊洲→東雲キャナルコート間の道に
タリーズとバーミヤンができます。
しかもバーミヤンは午前2時まで!
出来立ての街だからいろいろな変化があるのです。
これから6次募集する6街区もいつの間にか、概観ができあがっています。
昨日は東雲キャナルコートでPE'Zを観られるというハッピーもありました。
ちなみに私が考える東雲キャナルコートのダメな点は。
ジャスコは24時間営業の範囲がだんだん小さくなっていきます。
ほかには、東雲キャナルコートから豊洲駅行きのバスの運転時間をもう少し延ばしてください。
でも、一番、嫌なのは駅から遠いところです。
これは人それぞれの考え方ですが、やっぱ辰巳駅まで遠いと思うのです。
橋をもう一本かけてください!
などなどいろいろあるんです。
最後に。ちなみにこれが4次募集と5次募集の対象となった3街区(左)と4街区(右)です。
東雲キャナルコートに住んでいる人は「16号棟、17号棟、18号棟」と呼んだりして
あんまり「街区」という概念は使わないみたいです。

最近、ちょっとだけ6次に応募しようとしている方から
問い合わせをいただくことが増えたので。
ここいらでちょっと
「東雲キャナルコートcodanに当選して住むまでの途」
について復習してみたいと思います。
(いつも読んで頂いている方、復習コンテンツで申し訳ありません)。
まずまず。
「税金払っている以上、礼金のない都市公団の物件に住んでやる!」
と思った私は、いろいろな物件を物色した結果。
デザイナーズ公団こと東雲キャナルコートcodanにたどり着きます。
このentryが東雲キャナルコートに住んでやる!の最初でした。
しかし、この当時、私は「安くても12万円」にびびりまくって
まさか半年後に実際に住むことになろうとはまったくもって思ってなかったのです。
「東雲キャナルコートに住みたい」シリーズの最初のこの辺ではまだ他人事です。
さらになんとなく東雲のジャスコを見学に行ったりして、
うらやましいーと思ったりとか、本当に非現実的に東雲キャナルコートcodanを捕らえています。
このジャスコ東雲店、住む前は便利だと思ったのですが、
実際は一人暮らしには広すぎて買い物が大変だったりと後々分かるのですが
まあでもトータル的に考えてやっぱり便利です。
そして、深夜の東雲キャナルコートの光景に私は心を奪われます。
2003年12月。東雲キャナルコートcodanの4次募集がスタートします。
モデルルームを見に行った私はその場で申し込んでしまうのです。
やっぱり、「家賃比内装と広さ」に負けたのが最大のポイントでした。
今も住んでいて思うのですが、キッチンとかお風呂とか贅沢な作りです。
今でも料理する時とか、本当に楽でちょっと料理する気になります。
運命の抽選日がやってきます。結果はこの通り。
「補欠当選」でした。
ちなみに抽選日の前日に弱気になった私は公団の窓口に行き
事故物件という恐ろしい存在を知って、驚愕したりしていました。
そして、一応補欠も含めて当選者が課される「書類確認」にいきます。
これがそのときのお話です。
いやーこのとき私はすでに東雲キャナルコートcodanに住む気満々になっています。
なんつーか、今振り返ると負けず嫌いな性格なので
えー、ぶっちゃけ「補欠」という中途半端な状態でリベンジしてやる!という意地が…。
そして2004年2月。私がのんきに名古屋に出張に行っている間に
事態は動いたのです。それは「繰上げ当選」…。
しかし、当選の現実を突きつけられ、私はこんな風に悩みます。
悩みまくった私は、ちょうど5次募集をしていた東雲キャナルコートcodanへまた行きます。
そうモデルルームを見に行ったのです。
そのときがこのentryです。
そして5次募集まで申し込んでしまう私…。
だが人生、思うようには行かずこうなりました。
しかーしさらに大逆転がありました。
それがこれに書いてある、「補欠でもないのに繰り上げ」当選という話だったのです。
というわけで、私は紆余曲折を経て東雲キャナルコートcodanに住み始めました。
住んでみると、思ったより快適なこと。思ったよりダメなこと。いろいろあります。
でも、成長途中の街というのは楽しいものです。
東雲キャナルコートの中央の道「S字アベニュー」には、ドラッグストアができました。
ちょっと便利です。(あとはampmが24時間になってくれれば…)。
10月になーんにもなかった豊洲→東雲キャナルコート間の道に
タリーズとバーミヤンができます。
しかもバーミヤンは午前2時まで!
出来立ての街だからいろいろな変化があるのです。
これから6次募集する6街区もいつの間にか、概観ができあがっています。
昨日は東雲キャナルコートでPE'Zを観られるというハッピーもありました。
ちなみに私が考える東雲キャナルコートのダメな点は。
ジャスコは24時間営業の範囲がだんだん小さくなっていきます。
ほかには、東雲キャナルコートから豊洲駅行きのバスの運転時間をもう少し延ばしてください。
でも、一番、嫌なのは駅から遠いところです。
これは人それぞれの考え方ですが、やっぱ辰巳駅まで遠いと思うのです。
橋をもう一本かけてください!
などなどいろいろあるんです。
最後に。ちなみにこれが4次募集と5次募集の対象となった3街区(左)と4街区(右)です。
東雲キャナルコートに住んでいる人は「16号棟、17号棟、18号棟」と呼んだりして
あんまり「街区」という概念は使わないみたいです。

ラベル: 東雲キャナルコートcodan
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